英語との出会いがあったから、私は「あの頃の未来」へとたどり着いた

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幼少期は引っ込み思案で人と話すことが苦手だったという大原さん。そんな彼女が変わるきっかけとなったのが英語との出会いでした。高校進学後から社会貢献を志し、大学時代は海外へ。現在はレアジョブでプロモーション業務に携わる大原さんに、仕事の価値についてお聞きしました。

 

英語との出会いがあったから、私は「あの頃の未来」へとたどり着いた。

子供の頃の私は人見知りの激しい、おとなしい女の子でした。自己主張をするのが苦手で、何かの順番を待つ時も自分から列の最後に回るほど。とにかく前に出ることが嫌でつねに気配を消していました(笑)

そんな私が変わるきっかけとなったのが英語との出会いです。親から「英会話でも習ってみなさい。きっと将来の役に立つでしょ?」と薦められ、スクールに通い始めました。始めはよく分からないまま通っていたのですが、レッスンを重ねることにどんどん英語を好きになっていきました。教室で開催されるハロウィンパーティなどのたくさんのイベントもとにかく楽しくて、すっかり英語に夢中になっていきました。英語力は飛躍的に伸び、市の英語スピーチ大会で優勝するまでになりました。「将来は英語力を活かして海外に」やがてそんな夢を持つようなりました。

中学に進んでからも海外への夢は膨らみ続け、卒業後は国際科のある高校へ進学しました。英語力にはそれなりの自信を持っていたのですが、入学早々にそれは見事に打ち砕かれてしまいました。国際科には海外経験豊富な帰国子女や外国人留学生など、ネイティブな英語を自在に操る生徒が数多く集まっていたのです。まるで海外へ留学したかのような環境に、英語力を磨く絶好のチャンスだと思いましたね。

国際科の授業はとても実践的な内容でした。英語の授業は一般の高校とは異なり、現実の国際問題や政治情勢などを題材にしたスピーチやディベートが中心。模擬国連会議として、生徒がそれぞれ国の代表役を勤め議論をしたり、社会問題についてのディベートを行ったりなど、リアルなテーマを考えていくものばかりでした。また、高校では友人たちとボランティア部を立ち上げ、部長を勤めました。発展途上国の子供たちへ送る文房具集めや、企業の難民支援協力のための古着集めなど、いろいろな活動を行いました。ボランティア部には30名ほどのメンバーが集まったのですが、皆がボランティア活動に対する熱い想いを持ち、それぞれやりたいことは多彩でした。部長としては、皆の想いを尊重しつつも部としてのマネジメントをきちんとしなければならず、組織をまとめる難しさを実感しましたね。
学校での授業や部活動を通じて、将来は国際機関で働きたいと思うようになりました。

自分の目で世界を確かめたことで気づいたこと。

高校卒業後は立命館大学国際関係学部に進学しました。私にとって大学時代は本当に密度の濃い時代だったなと思います。まず、思い出すのが大学2年の時に参加した内閣府による「東南アジア青年の船事業」です。この事業は昭和49年1月に出された日本とASEAN5ヶ国の共同声明に基づいて発足した国際交流事業です。アジア各国の青年が「東南アジア青年の船」に乗船し、生活を共にする中で各国の紹介や討論をするほか、訪問先の国々で様々な交流活動を行うなどの活動を通じ国際協調の精神の涵養と国際協力の実践力向上を図ることを目的としたものです。

アジア各国の若者たちとの交流はすべてが新鮮でした。イスラム圏の人々の生活習慣が私たちのとはまったく違うこと。日本では当たり前に存在するエスカレーターがラオスでは当時、たった一つしかない珍しいものであることなど、たくさんのことを知りました。また、訪問先の国々ではホームステイをしながら現地の方と交流させてもらったのですが、いかに私たちがアジアの国々のことについて何も知らないかを実感させられました。参加期間は2ヶ月でしたが、まさにあっという間に終わってしまった感じです。「もっと東南アジアについて知りたい」そう思った私は、帰国後すぐにフィリピン大学への留学を決めました。交換留学ではなかったため、大学を休学しなければなりませんでしたが、それでもすぐに留学したいという想いを抑えることはできませんでした。

同時期に、留学の直前の夏休みにレアジョブの短期インターンに採用されました。私はレアジョブの海外拠点がフィリピンにもあることを知っていたので、じつは密かに留学先のフィリピンでインターンをさせてもらおうと考えていたのです。代表の加藤にその旨を伝えたところ快く承諾していただきました。

留学先はフィリピン大学に決まりました。専攻はコミュニティデベロップメント・地域開発です。3時間の講義を週2回受講し、空いている時間はレアジョブでインターンとして働きました。資料の英訳などから始めたのですが、ある程度慣れてきた頃、現地駐在の社員さんから「何かやりたいことある?」と聞かれ、SNSの運用をやりたいことを伝えました。
当時レアジョブはSNSを活用したマーケティング・プロモーションに力を入れ始めたところで、やるならこれだと思ったのです。生意気にも、もっと良くできる自信があるので!とお願いしました(笑) 具体的には、おもに公式ツイッターの「中の人」をやりました。スカイプでの授業などに代表されるようにレアジョブのサービスはITとの親和性が高く、また多くのユーザーがSNS上でレアジョブを紹介していました。そんなユーザー同士をつないだコミュニティを作ることで、さらなるファンを獲得できるはずだと思いました。1人よりも、多くの仲間がいたほうが学習も続けられるはずですから。

留学にあたり、できるだけ現地に溶け込んだ生活がしたいと思っていました。生活費もなるべく抑えようと思い、大学の留学生寮に入ることにしたのですが、あまりの環境の悪さに愕然としました。部屋の中は見たこともないような奇妙な虫だらけで、設備も明らかに不十分。日本円で月1,600円の寮費は物価の安いフィリピンでも破格の安さらしく、大学の友人からも「その安さはヤバイよ」と言われる始末。留学生向けの寮だったこともあり、現地のことを知るにはフィリピン人と生活した方が良いのではないかと考え、ルームメイト募集広告でシェアする相手を見つけ転居しました。ルームメイトはフィリピン大学のすぐ近くにあるアテネオ大学教員の女性で、日本への留学経験のある方でした。コミュニケーションはもちろん英語で、いろんな話をしましたね。

自分の仕事に対する価値観こそ、もっとも大切なものだと思う。

大学3年の夏、留学を終え日本に帰国するとすっかり就職シーズンが到来していました。大学に戻り、すぐに就職活動を開始。海外にも関われる仕事で、かつ専門性が高く自分のスキルが身につけられることを軸にしました。フィリピン留学を終える頃には将来の方向性は固まっていました。リクルートでのインターンシップなども経験しながら多くの企業を見ていった結果、あるマーケティング・リサーチ系ベンチャーへの就職が決まりました。

卒業後はそのベンチャーに就職。「これからは自分がやりたかった仕事が思う存分にできる」そう思っていたのですが、少しずつ仕事を覚えていくに連れて、違和感を持つようになっていきました。仕事や会社に対しての不満などではなく、自分の仕事への価値観の疑問のようなものです。自身のスキルアップこそ自分が求めているものと考えていましたが、レアジョブでのインターンシップで感じた手応えやヤリガイのようなものが感じられていないことに気づいたのです。SNS運営を任されていた時、ユーザーさんから感謝の言葉を頂くのが何よりの喜びでした。自分の仕事がユーザーさん、あるいは社会に対して変化をもたらすことこそが自分が求めているものなのだと感じました。

大学卒業後も社長をはじめ多くのレアジョブの方々との交流は続いていました。ある日、インターン時代の先輩と会う機会があり、自分の想いをストレートに話しレアジョブへの転職の意思を伝えました。「いつかはまたレアジョブで」という想いをずっと持っていたので嬉しかったですね。その後、今年2月より晴れて正社員として迎えていただくことになりました。

現在はマーケティングチームにて、主に個人向けプロモーションを担当しています。インターンを終えてから約3年。この間にレアジョブは右肩上がりの成長を遂げてきましたが、カムバックしてみて「何も変わらないな」と感じました。
「Chances for everyone、everywhere」変わることのないこの理念こそがレアジョブであり、ここで働く人をつないでいるものなのです。学生時代、生まれた場所により人の可能性が変わってしまうことはおかしいと感じたのをきっかけに、私は社会貢献に取り組み始めました。学生時代から抱いていた疑問への答えが、まさにレアジョブの理念なのだと思います。入社から数か月、課題はたくさん見つかっています。スキル、知識を身につけることはもちろん、どこにいても通用する力をつけるために何が必要かを日々考えているところです。

出身 生粋の関西人です。
好きな言葉or座右の銘 Chances for everyone、everywhere
趣味 旅行
地球最後の日に食べたいもの 生肉(レバ刺しかな)
今一番行きたいところ ウズベキスタン
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