小論文で逆転内定。就職活動は「対会社」ではなく「対人」

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映像やウェブコンテンツなどを組み合わせた提案が得意な広告プランナーの河野さん。運命に導かれるように理想の仕事にめぐりあいました。好奇心にあふれ、能動的かつ柔軟な姿勢がクリエーターとしての価値を高め、人を驚かせる新しい表現を生むのでしょう。

 

 

都市社会学の方法論が、広告プランナーとしての「仕事術」につながった。284066_206310466086430_1323863_n(re)

幼いころの私は本の虫。高校で放送部に入ってからは、朗読する文学作品や、関連する文献を読みあさりました。大学の第一志望は早稲田大学。近代文学を専攻し、谷崎潤一郎を研究したかったのです。でも、落ちてしまった。

浪人を考えていたとき、母が見つけてきたのが法政大学キャリアデザイン学部のAO入試でした。合格したときは嬉しかったのですが、近代文学とは違う方向の学部だったこともあり、悩みつつも入学することになりました。しかし、入学してすぐのころは、志望していた学部とは違う方向であったため、やさぐれていたんです(笑)

でも、ある授業に出会って、大学がおもしろくなりました。「コミュニティー論」という都市社会学を扱う授業です。高校時代にドキュメンタリーを作った経験や、ジャーナリズムへの関心とリンクする部分が多くて、学べば学ぶほど「やりたいこと」に近づくと感じました。この授業が都市社会学のゼミに入るきっかけでした。

都市社会学で学んだことはプランナーになったいまも活きています。私は「この街にはどんな看板が出ているのだろう」「どんな人が、どんな服を着て生活しているのだろう」といった観察を含めて「取材」だと思っていて、これが大好きです。持ち帰った情報に法則性を探すというのは、大学時代に学んだ都市社会学の方法そのものなのです。

大学でのサークルは「ジャズ研」に入りました。3歳からピアノを習っていて、もともと音楽好き。実は母がお腹のなかの私にジャズを聞かせていたという話もあって、いつかジャズをやりたいとも思っていたのです。楽器はサックスを選びました。

サークルだけでなく、アルバイトも始めました。先輩の紹介で始めたのが、市ヶ谷のカフェでのアルバイトです。ここがすごく面白い場所で、カフェ内にステージがあって、演奏ができるんです。東日本大震災のあとには「義援金ライブ」を開いたり、お客さんに就職活動の面接練習をして頂いたりと、出会いに恵まれて多くのことを教えていただきました。

小論文で逆転内定。就職活動は「対会社」ではなく「対人」

就職活動には苦戦しました。都市社会学の分野がジャーナリズムに近いこともあって、記者になるために新聞社を数社受験しましたが、全滅。大学に入ったころと同じように、またやさぐれてしまいました。1カ月ほど自宅に引きこもって、海外のアニメーションや単館系のマニアックな映画をひたすら見続けていましたね。現実逃避して、好きなものを見まくろうと思って(笑)

ただ、いつまでもそうしてはいられず、就活を再開しました。高校時代にドキュメンタリーを作っていたということもあり、映像を通して人にものを伝えることにすごく興味があったのです。それで、広告業界を回り始めた。ただすでにかなり時間が経っていたので採用を終えた会社も多く、募集は制作現場のスタッフが中心でした。この世界は体育会系で、文化系だった私は「君には向いていない」と言われて落ち続けました。

実は太陽企画も一度は落ちてしまったんです。でも、ある人が私を引っ張り上げてくれました。そのきっかけは、採用試験で書いた「小論文」でした。

当時の課題は、複数の広告事例から一つを選び、自由に論述するというもの。私は検索が大得意で、学生では普通知らないような海外の広告を知っていたのです。それを選んで社会学に絡めて小論文にまとめました。

後に聞いた話では、その広告を選択したのが、数百人の受験者のなかで私一人だけだった。後に上司になる女性が小論文を読んで、「この子を採るべき」と社内で訴えてくれたんです。

突然電話があって、一度は入社をあきらめた会社にこう言われました。「やっぱり採用したい」と。

就職活動は、「対会社」ではなく、「対人」なんだとつくづく思いました。上司はいまでも、私の小論文を自分の机にいれてくれているんです。「この子いいね」と見つけてくれた人がいるから、私はいまこの場に存在できるというわけですね。

広告という枠にとらわれず、人を喜ばせることを考え続ける。TSS_8469 (1)(re)

こうして、私の社会人生活は始まりました。最初の1年半は、CMやMVの制作現場を担当しました。それこそ「弁当80個用意しろ」の世界で、撮影に使う花瓶を1日中探し回った日もありましたね。

現場で働いている方々から感じたのは、作品に懸ける思いの強さです。制作期間や、お金が足りないといった障壁がたくさんあるなかで、何よりも強い思いが作品を完成に導いていく。現場に出て、そのプロセスを見ることができて、よかったなと思います。また、太陽企画ではプランナーから映像監督、エディターまで、映像制作に携わるほぼすべての役割の人が同じ会社に在籍しているため、連携も密に取れて良い作品が生まれているのだと思います。

現場経験を経て、プランナーになった私の仕事は、企画を立てて映像や広告の「骨組み」をつくることに変わりました。しっかりとした骨組みをつくることが、現場への一番の敬意だと思っています。
もちろん、頑丈な「骨組み」をつくるのは大変な仕事です。私の場合はまず、情報収集のアンテナを常に高くし、必要な情報を集める。そしてA3の紙を用意して苦労して集めた情報をとにかく書き出し、単語を線でつなげて、そこから企画の流れやストーリーを組み立てていくのです。

ある日の夜中3時ごろ、疲れてパソコンを操作しているときにひらめいた企画もありました。ツメのネイルアートが動いた気がしたので、「ネイルが動く映像を作ろう」と社内コンペで提案しました。それが、会社の支援を受けられるプロジェクトに採用されたのです。
これが、3Dプリンターでつくった500個以上のネイルチップをコマ撮りした映像作品『TRANSFORMING』です。半年がかりで今年3月に完成させ、海外メディアや国内のテレビでも紹介されました。このとき参考にしたのが、就活に失敗してやさぐれているときに見ていた粘土が動くクレイアニメでした。

仕事では、本当に悩んだ時期もありました。良い企画が立てられず、腐ってしまい「社内ニート」状態の時期だってありました。そんなとき、仕事でお世話になったある方から、こんなメールをいただいたのです。

糸井重里さんの言葉を引用しながら、

「企画で相手に勝っていくのは大変だ。負ければ悔しい。でも、それにめげたり、人や環境のせいにしたりするやつはプロじゃない。とにかくあきらめずに粘って、人がうれしいってどういうことかをひたすら考え続けろ」と。この教えを守ることで、少しずつ私のライフラインは上向きになってきました。自分のPC内に人から教わった名言集を作っているのですが、その一つとして、大切に保存しています。

もう一つ、頭に残っている言葉があります。ある日、会社の先輩にこう言われたのです。

「自分の好きなものだけじゃなく、みんなが好きなものもきちんと知っていないとダメだよ」

私は学生時代から、マイナーなものばかりが好きでした。それを先輩に指摘されて、「確かにそんなことではみんなに伝わるものは作れない」と素直に認めたのです。それから、映画でもなんでも、多くの人が評価している作品を積極的に見聞きするようになりました。

みんなが好きなものも知ったうえで、コアなところもフォローする。両輪を大切にしていきたいのです。そして将来は、映像の枠組みにとらわれず、ウェブコンテンツからイベントまで幅広い視野を持って、人が喜ぶ「仕組み」を作れる人になりたいと考えています。

実は私は、CMなどのナレーションもこれまで20本ほど担当したことがあるのです。高校時代、放送部のアナウンスで全国大会に出たことがあって、その経験も仕事につながっています。「18歳の自分、ありがとう」ですね(笑)

最後になりますが、今思うと本当に太陽企画に入社できてよかったです。社員みんな仲がいいですしね。例えば、忙しくて夜中まで仕事をしている時なんかは、みんなテンションが高くなって、「同じ色のTシャツ着ているから」とみんなで並んで写真を撮ったりしたことも。そんな明るさがあるから、辛い仕事も乗り切れたりしちゃうんですよね。
また、今年はアメリカの「サウス・バイ・サウスウエスト」やフランスの「カンヌライオンズ」へ、視察のため出張させてもらいました。こんな若手を海外に送ったり、社内コンペでお金を出して好きな映像を作らせてくれる会社はほかにないと思うし、そんな環境で仕事できるのは、幸せなことだなと思っています。

出身 長崎県
好きな言葉or座右の銘 考え方から考え、作り方から作る
趣味 美術館、博物館めぐり
地球最後の日に食べたいもの 白子の天ぷら
今一番行きたいところ 沖縄
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